<概要>
「不合理の世界」とは心理的、認知的なバイアスが蔓延っている状況を指しています。
ここで注視しなくてはならないのが、一部の陰謀論者などの特殊な思考を持っている人々だけでなく、頭脳明晰な人にすら上記のバイアスがかかった状態で交渉をしてしまう程に、その影響力は強いということです。
また、この「バイアス」への対処として、いわゆる【経験則≒並外れた成功体験に基づいた法則】は不適当だとされています。なぜなら「交渉」に求められるスキルは、その時々で凹凸で多岐にわたっているためです。ある分野の交渉はできるがそれ以外の交渉はさっぱり…。という事態に陥るのは、「交渉」とはそれほどにバリエーションに富んでいるために他ならないからです。このような「交渉」の特徴を踏まえれば、一部の成功体験が汎用的に交渉に生かすことができないことは明白でしょう。
それでは、不合理な世界で合理的に交渉するためにはどのように心理的バイアスを克服するのでしょうか。
交渉における専門家による見解は、「効果的な交渉がどのような要素で構成されるかを【戦略的に概念化】し、体系的、戦略的に交渉を考え、準備し、実行するための枠組みを設けていく」、というものです。
本記事では、自分自身のバイアスを克服し、交渉相手のバイアスに効果的に対処するために必要なツールと
枠組みについて触れていきます。なお、交渉におけるバイアスの自己認知では不十分で、バイアスを克服するのに役立つ体系とプロセスを構築することで初めて【不合理の世界で合理的に交渉する】ことができる。…と専門家は述べています。
<自分自身のバイアスに向き合う>
方法①:「システム2」思考を活用する
システム1思考:時間がかからず、無意識的で、努力の必要がなく、暗黙的で感情的である思考≒直観的思考
システム2思考:時間がかかり、意識的で、努力を要し、明示的で、論理的である思考
交渉については、直観が勝る「システム1」から論理が勝る「システム2」に移行すべき状況を見極められることが肝要。そのために、システム2思考をすべき交渉のリストをからかじめ作っておくのが良い。また、システム2思考で推し進めるべきであると自身が判断した交渉においては、
・時間的プレッシャーの下での交渉は避ける
(時間的プレッシャー:時間的制約があり、結論を導出するまでの時間が極端に短い場面)
・交渉を複数の会議に分ける
ことが必要であることを意識すべきだとされている。
方法②:類推を活用して学ぶ
ヒトは経験から抽象的な原則を引き出せるときに、事例やケース・スタディ、演習から多くを学ぶことができます。直面したある状況下で「どうすべきであったか」という考え方は交渉においてプラスにならないが、
状来同じような状況に直面したとき、どのような要素を検討すべきかがわかると、経験は大きく役に立つ、とされています。重要なのは、「正しい答え」ではなく「正しい原則」を経験から導出することである。つまり、あるパターンの1つを取り上げて「どうすべきであったか」という具体的な対処を考えることは交渉には役に立たず、より一般化(原則化)された対処法を経験から学ぶべき、ということです。端的に言えば、一度に一つの経験から学ぼうとするとその状況の「表面的」な要素にばかり目を奪われるが、異なる経験を比較・対照すると、似たような「構造的」要素を引き出せるということです。この方法の根底にあるイメージは「具体的事実ではなく原則に着目する」ことだとされています。
方法③:部外者を巻き込んで自分の行動や予定の評価を受ける
ヒトは十分な知識を持っていても、「自分は他人と同じ状態にはならない」という自信のようなものを100%持っている、ということを意識する必要がある。ここでの他人の状態とは、一般的にネガティブな状況を指す(家の製造コストが予算の20~50%増大するのが通常であるが、なぜか自分は予算内にすべての建設が完了している前提で予定を立ててしまう 等)。
このバイアスを無くすには、第三者を巻き込んで自身の状況を共有することも対策の一つであるが、必要に応じて第三者の視点をアドバイスという形でフィードバックを受けることも大きな効果がある。
<他人のバイアスと対峙する>
相手が交渉のテーブルに持ち込むバイアスによって、自分の交渉に大きな影響を受けかねない。それを防止するために、
①相手のバイアスを理解して自分の戦略に取り込む方法
②相手のバイアスを正す手助けをする理由と方法
③契約条件を工夫することで相手の意思決定のバイアスに応える方法
の3つについて、それぞれ触れる。
①相手のバイアスを理解して自分の戦略に取り込む方法
交渉相手が上述の「システム1思考」になっていないか、つまり、経験則や直近のデータのみを見ており、過度に近視眼的で直感的になっていないかをまず観察する。観察の結果、相手がシステム1思考であると見受けられた際には、自分はシステム2思考(論理的思考)に基づいて、次の交渉への準備をするのが良い、とされている。
つまり、相手の間違いを是正するのではなく、相手の心情や態度、行動に訴えかけるのではない方法で、
相手と自分が win-win となる折衷案を考えるのである。これこそが、相手のバイアスを理解して自分の戦略に
取り込む方法である。
会社の売買の例を用いて説明すると、相手は売却する際の価格を最重要視しているのであれば、
相手が望む金額を承諾するのと引き換えに、自分が重視するほかの点では譲歩を引き出すのである。
(この例での譲歩とは、支払い条件の優遇、長期間に渡る支払いの承諾などです。)
②相手のバイアスを正す手助けをする理由と方法
上述の①では、相手のバイアスを修正することなく交渉を有利に進める方法を紹介したが、多くの場合は
未熟で不合理な相手(バイアスがある相手)と交渉することは、良い交渉の障害にしかならない(交渉を有利に進められない)。よって相手の考えを整理する手助けをすることが、自分の利益につながる場合も多い。
それでは、どうすれば慎重で筋道が通り、秩序だった思考が出来るようになるように促せるだろうか。
その問いの答えの一つは、時間的プレッシャーを鑑み、相手にこちらの提案を考慮するだけの時間を与えることです。相手が自身過剰な場合、「イエス」というべき提案条件であったとしても反発して「ノー」というようにバイアスがかかるので、他では得られない好条件を提示しても、なかなか首を縦に振ることはないかもしれません。そこで、私たちは「今すぐ結論を求めているわけではありません。他の提案についても検討したうえでご連絡ください。」とあえて時間の猶予を与えるのです。こうすることで、バイアスがかかっていた(自信過剰だった)相手のバイアスを取り去ることができます。また、それだけではなく、ここでの提案について重要なポイントは何か、次の提案を受けるための交渉に準備すべきことは何か、といった事項を相手に意識させることができ、最終的には win-win な関係を構築できるのである。
③契約条件を工夫することで相手の意思決定のバイアスに応える方法
上述の②では、間接的に相手のバイアスを修正させるよう方法について紹介したが、交渉相手のバイアスを「正す」のがいつも正解というわけではない。こちらは間違いである、と思っているが、相手は将来の見通しに揺るぎない自信を持っているかもしれない。この場合、この見解の相違について議論するのではなく、バイアスのかかった相手の期待を利用した方がうまくいく場合がある。その具体的方法は「条件付き契約の提案」である。
具体的には、例えば販売員の説明通りの性能であれば定価で買うが、それほどの性能でなかった場合には大幅な値引きをすることを契約の中に盛り込む、ということなどです。