【コラム】マトリックス3部作における考察及び私見について

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 本記事では、マトリックス3部作における考察をしていきます。それぞれの作品についての記事内で示したコラムのネタから、1つの仮説を見出したので、その仮説について共有し、また仮説検証を行います。

仮説:ネオは”マシン”である

 ネオは人間側の救世主として描かれているが、ストーリーを注意深く観ると、【人間】として描かれているはずのネオには不整合な点がいくつもある。下記に不整合な点をまとめます。

  ①エージェントは発電所内に繋がれていた状態のネオを拘束したが、殺さなかった。(1作目の序盤)
  ②”かつて救世主となったものは、マトリックスを本来の姿に戻す力を持っていた”という
   モーフィアスの言葉                            (1作目の序盤)
  ③オラクルの「救世主の力はマトリックスを超越し、同じところへ帰る」という発言(3作目の序盤)
  ④センティネルをはじめ、機械を視覚ではない第6感で知覚できる         (3作目の終盤)
  ⑤本来物理法則によってのみ制御される現実世界の機械をコントロールできる   (3作目の終盤)

これらについて深堀っていきます。

 まず①についてだが、これは第一作目の序盤でトリニティがエージェントから命からがら逃げた際のエージェント達の会話の中で、次の標的はネオであること、また、すでにネオについて調査している旨が語られている。その後にネオはエージェントに拘束されるも、何故かその場では殺されず、機械を埋め込まれた上で開放されている。当初はこの展開は、「よくあるRPGの主人公補正」くらいにしか私は捕らえていなかったが、【ネオはマシンである】前提で解釈すると、このときに埋め込まれた機械によって、マトリックスのコードに干渉できる能力のタネを埋め込まれたのではないか、と考えられる。つまり、ネオ=マシン とは言うものの、当初は正真正銘ただの人間であり、ネオが死に瀕したときにエージェントに仕掛けられたコードが作動して【機械側であえて作られた救世主】となったものと考えることもできる。

 ②について、モーフィアスの「かつて救世主となったものは、マトリックスを本来の姿に戻す力を持っていた」という発言とマトリックス・リローデッドのアーキテクトとの会話の内容を複合して考えると、【救世主はマトリックス内に内在するバグによって出現する】また【救世主は自身の持つ特異なコードをもとに、マトリックスを再構成する(バージョンアップ)】という役割を担うことを導出できる。これが何を意味するのかといえば、人類は戦争の終結に寄与することを救世主に求めるが、実際には救世主の存在すら機械側の手のひらの上であり、人類を電池としている以上、その電池の保持のためにマトリックスが存在し、そのバージョンアップを定期的に救世主というアノマリーに行わせていることが推察される。

 続いて③について考える。③は、オラクルの「救世主の力はマトリックスを超越し、同じところへ帰る」という発言を指しています。この発言は、人類が期待する救世主のあり方と不整合が生じていることになる。わかりやすく言語化していきます。オラクルのこの発言は、能力の発現と終わりは同じ場所で起こる、ということを示していますが、より具体的に見ていくと、【能力の発現 = 発電所に繋がれた状態でのマトリックス内】であり、【終わり = デウス・マキナに接続した状態でのマトリックス内】と言い換えることができます。つまり、オラクルのこの発言は、【救世主の力は機械によって与えられ、機械に回収される】ことを示しているとは考えられないでしょうか。

 ④および⑤について考えます。ネオ=マシン説の確固たる根拠は、この物理法則に従うはずの現実世界での機械の停止/破壊 が可能であったことにあります。これまで述べてきた、『エージェントらに仕掛けられた機械に救世主のコードが隠されており、その力に目覚め、機械側の意図のもとで救世主となった』という考察にはやや無理があったかも知れませんが、現実世界での機械の知覚・破壊に関しては、ネオが機械側で作られた存在だから、と言えるのではないでしょうか。

ネオ = マシン説が正しいとして、機械側は何をしたかったのか、について触れます。

 機械側には生存のためには電力が必要、そのために電池となる人間の脳に投影するマトリックスはより完全なものである必要がある、という前提に立って考察すると、やはり機械側の意図は【救世主プログラムを定期的に発動させ、救世主の持つ特異なコードを取り込み、マトリックスをバージョンアップさせる】ことと言えるでしょう。実際、ネオの前の5人の救世主はそのようにしたと考えられます。しかし、ネオはこれまでの前任者たちとは異なり、人類の存続よりもトリニティへの愛が勝り、自身のコードをソースに投影することをしませんでした。その結果、機械側も、人間側も意図しない方向へ進んでいきます。そして、最終的には、【プログラム・スミス】の停止/破壊を条件に、ザイオンへの攻撃を休止する、という流れを踏むことになります。ネオの存在は機械の意図でしたが、行動は人間的であり、機械の想定外なことであったと推察されます。

記事が長くなってきたので、以下はQ&A形式で示します。



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